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社会保障や福祉への税の投入効果を考える
「だまされて」あげますか?(3)
(2012.6.8)

 5月30日付けの朝日新聞に「自民、人からコンクリへ」という見出しの記事が載っています。
 民主党のマニュフェストにあった「コンクリートから人へ」の逆の政策を決めた、5月29日の「自民党政策会議」の話です。
 「先祖返りの声」もあるとも書かれていますが、そこで考えました。
  一つは、民主党は「コンクリートから人」への政策は「掲げただけで」やったことは「正反対の」八ツ場ダムの「中止から推進」で、国民をだましたこと。
もう一つは、自民党の「人からコンクリ」で、公共事業10年で200兆円。生活保護費は大幅減。という発想の根源です。
 自民党の政策は「社会保障や福祉に使うお金は、経済に役立たない」という、「何十年も振りまいてきた嘘」にしがみついて、税金をゼネコン関連の企業に移す、ということで、この嘘は今から十五六年前に見抜かれ、平成20年版の「厚生労働白書」で認める記載をしているものです。
 「嘘の内容」を明かすと。
社会保障や福祉に使われたお金は、消費に使われ、市場で循環し、生産波及効果が大きく、「一次効果」「二次効果」と進むと、公共事業より「効果が大きい」ということが解明されているのに、それを隠して「ともかくゼネコンに」、そしてあわよくば「政治献金で」政治家の懐に、という、「長年やってきた方法」が懐かしい、というものです。

 そしてもう一つ考えたのは、近代国家として税金を徴収して国家を運営することにしてから以降、そのお金を「国民の懐を通過させて、安心の基に使う」という発想が一度も無かったのではないだろうか、ということです。

 調べてみると、国家としての体裁が整った明治の初期には、多額の税金で建設した「近代的な製糸工場=富岡製糸工場を、十年少しで旧財閥に「払い下げ」して、直接渡すことが行なわれていました。
次に大掛かりな「税が私的な財産に変身する手法」としてとられた手段が、強い国家を創るとして「軍備の増強」で、「定価の無い」武器を生産させて国家が買い取る方法で、財閥が作った軍需産業に多額の税機を移動させるという手法がとられました。
 そして戦後からは・・・
 「復興のための公共事業」として、土木業者に税金を移動させる手法が発明(?)されました。
 この手法が発明されてからは、復興などと言う正当な理由が無くなっても、「巨額な公共事業は、良い事業」として、「ムダなダム」「船の来ない港」「たちまち赤字になる空港」「架空の交通量を見積もった巨大道路」建設などなと、今でも続いているのです。

 税金を、(直接でも間接でも)「国民の懐を通して」使う方法を選んだらどうなるでしょうか?
その答えを探すのに参考になるのが、北欧の国々の政策です。少しずつの違いはありますが、「社会保障を充実させて」、人生は何度でもやり直せる、という安心を国民に約束しているという共通があります。

 これだけの証拠があっても、社会保障や福祉はダメ、と言う宣伝に「だまされて」あげますか?

 


 
「だまされて」あげますか?(2)
(2012.6.7)

 関西電力管内での「節電要請はしない」理由は?

 日曜討論会で民主党の前原誠司氏が言いました。
 「大飯原発を稼働させることが目標だから、大飯を止めることを前提にした節電要請はしない」のが筋だと。
 何のことはない、大飯を動かす。それに同意しないで節電をしなければ電気が不足する。そうなれば大停電が起きるがその責任は原発再稼働に同意しない人たちの責任で政府の責任ではない。と言う論理なのです。
 「大停電」。
 大阪府も含めた関西電力の圏内で大停電が起きたら、大きな混乱を招くことは確実です。
 それは、想定できることですから、電力会社は「原発でない発電」で、大停電を引き起こさないための努力をする義務があります。
「消費者にツケまわし」という、思い上がりで無責任な部分は許せませんか、東京電力は、そのための段取りをとっています。
 次は政府の対応ですが、「大飯を動かすのが目標だから、節電を求めない」というのは、裏返せば「普通にいけば、大停電。いやなら大飯を動かすことに文句を言うな」という“恫喝”そのものです。

 それでは、関西電力圏内の人たちが、この恫喝に屈しないとしたら、必ず大停電は避けられないのか、と言えばそれも間違いのようです。
 なぜか?
 関西電力と東京電力で「電力の融通」は「電気の周波数」の違いでストレートにはやりとりできませんが、関西電力と同じ「60ヘルツ圏」の中部電力などとの間では「送電線に繋ぐだけ」で融通しあえるのです。
 そうすれば、わずかの節電で乗り切れるという試算も出ています。
「何とかなること」を隠して、原発稼働に文句を言うなら「大停電」とは・・・。

 「だまされて」あげますか?

 


「だまされて」あげますか?(1)
(2012.5.25)

 今の国会で、「税と社会保障の一体改革」が審議されています。
この場合の「税」は消費税の引き上げ、「社会保障」の内容はあいまいなままですが「持続可能な体制」にするということでの「給付=サービスの切り下げ」。
「一体改革」とは、それを「ドサクサにまぎれて」一気に通す。
というのが野田首相の真意のようですが、マスコミの報道などではその姿を見えないようにしているのではないか、と疑う報道ばかりです。
国民の「優しすぎ」「人が良すぎる」ことにつけこんだと思われる「言葉のあや」をいくつか・・・。

消費税の9割は「横流し」されていた!

 「高齢化社会を支える」と宣伝して、消費税は3%の税率で導入されました。
その後、5%に引き上げる時にも同じような宣伝をしていたことを覚えている方は多いのではないでしょうか。
ところが、高齢者の安心が少しでも進んだでしょうか?
結果は逆さまでした。
どうしてそんなことが?と思われる方がいるかも知れませんが、その理由はこうです。
消費税が導入されても、税率を引き上げても、国の税収は増えなかったのです。
だから、高齢者のための財源が無かった、というわけです。
その真相は「法人税を引下げて、消費税で入ってきた税収の9割を横流し」していたということです。 
過去だけではありません。消費税を8%に、そして10%になどと法案を審議し始める前の今年4月から、法人税は先取りして「引下げ」をやってしまったのです。
「社会保障のため?」らしき言葉に、もう一回「だまされて」あげますか?

「公平」というのは、どんな「条件が満たされた」時?

 「消費税は」広くみんなに負担してもらう税制だから「公平な税制」などと説明している人たちがいます。
新聞の解説にもそんな言い回しがありました。
信じますか? 「変だな!」と思う方もたくさんいます。
この場合、「変だな!」と思うほうが「正解」なのです。
そうでしょう! 収入がまちまちなのに、「負担が一律」なら、格差が広がるだけではありませんか。
年収数億円もある人と、年金が百万円程度の高齢者が、「同じ率の税負担」です。
「公平」というなら、「収入も同程度で、同程度の負担率」でなければなりません。
これにも「だまされて」あげますか?

 もう一つ、「かたぐるま」型で、高齢者を支える、とは? 

 昔は多くの若者で一人の高齢者を支えていた「ピラミッド型」だったが、間もなく、一人の若者が一人の高齢者を支える「かたぐるま型」になるから、若者がたいへんになる。などという宣伝で、「世代間対立」を画策し、高齢者を「重荷のように」扱う世論をつくろうとしています。
私は、税務署のリーフレットにも「絵入りで」出ていたのを見た記憶があります。
これもひどい話で、単に人口を年齢で分けて、「働けそうも無い」人口と「働くのが可能な人口」とを割り算しているだけの話で、実態とは無関係、とも言われているものですが、私が腹立たしく思うのは、「悪意を感じる」からです。
昔と今では、「生産性」がまったく違っていて、昔百人で一日かかっていた仕事が、一人の技術者と一台のショベルカーで済んでしまうほど技術革新が進んでいる「違いを」無視していることです。
この技術革新の成果を大企業などが独り占めしているから数百兆円もの「内部留保」がたまることになり、社会は疲弊するのです。
この宣伝にも、「だまされて」あげますか?

 


 
放射能測定器の設置と
      市民の「不安改善」との関係についてのメモ
(2012.4.10)

1. 市民不安のもとになっている「情報の質」

 福島第一原子力発電所の事故後、国民は放射能について不安をもって生活しているが、それには二つの流れがある。

 一つは、文字通り汚染された地域にくらしていて、どれだけの影響があるかということに対する正確な解答が出せないでいることに対する、不安と不満である。

 これに対する解答で最悪なのが「直ちに人体に対する影響はない」というもので、「直ちに」でなければ影響がある、という不信が直ちに頭に浮かぶのである。

 そしてその不信は正しいのだから始末が悪い。放射線は確かに自然界にも存在はするが、その被曝量と人体への影響の関係が数量化されているとは言えない。

 遺伝子に与える影響は被曝量が高いか低いかで質が変わるのではなく、生物の持っている「遺伝子を修復する能力」によって決まるのであって、その能力には「個体差」もあって、総合的には「あいまいな」のである。

 レントゲンやCTなど医学の場で受ける放射線量が、日本では「異常な大きさで」危険な国、とも言われるほど放射線の取り扱いに無神経な国であるが、だからと言って原発事故の放射能を浴びても大丈夫、などというわけにはいかない。

 もう一つは、自分が本当は「どれだけ被曝しているのか?」という不安には、「ほとんどこたえられていない」ことにたいする不安である。

 それは、ほとんどのひとが「自ら確かめる手段をもっていない」からであって、なお受け取る情報の「質の低さ」を感じているからその不安が増幅している、と言ったほうが良いかもしれない。

 「情報の質」について言えば、放射能などの科学的な事象に対する情報は、「ほとんど全て」が加工され操作されて発信されている情報であって、その価値は最も低いと言われるものである。

 では、第一級の情報とは何か?と言えば、それは本人が「自らの五感で」受け止めた情報である。

 放射能汚染に対して、「第一級の情報」を提供するというのは、この場合には「測定器を設置して、直接結果を受け取る」と言う以外にない。

 そのことによって、安心をする場合もあるし、危険を知る場合もある。

 それでも、質の高い情報にたいする信頼感が元になっているのだから、「それで良い」というだけのことである。

 船橋市が線量計を貸し出して、市民が一定の正確な状況把握が進んだことで、不正確な「操作された情報」から市民が解き放たれた、と言う経過を見てもわかる話である。

2. 機器の運用方法について

 2で述べたことから、「機器の運用方法」についても、ほぼその方法は明確になったと考えられる。

 まず、本人が触れるということは必要ではないが、誰でも接近できる場所で分析されるということである。 そして、自らが「しらべてほしい」という検体を分析することを原則とすること、ではないだろうか。

 どれほど権威ある分析機関などと言っても、過去には「データの改ざんや、捏造」が繰り返してきた歴史をみれば、国民が直ちに信頼できないという気持ちを持つことを非難できるものではない。

 データの隠蔽などは、この事故の取り扱いの中でも発生しているではないか。
それを一定の期間繰り返すことで、「信頼できる情報」を受け取ってこそ、いたずらな不信感や不安感を取り除くことになる。

3. 放射能への監視は、数十年は終わらない

 政府は、福島第一原子力発電所の事故について、原子炉が「冷温停止『状態に』ある」などと言って、あたかも「落ち着いている」かのように言うが、これこそ「操作された悪質な情報」はない。

 「冷温停止」は制御された中での状態を指すが、「停止状態」は制御できないが一定の状態を保っている、というだけのもので、全く異なるものを「あたかも・・・」というように、人心をたぶらかすもので、危険な情報操作である。

 そのような操作は、事故発生以来続いている。

 先にも述べたが、この事故では調査し得られていたデータを隠蔽するということが繰り返されているし、外部からの指摘で開示されたデータ以外に今でも隠され続けているデータが無いとは言えないのが深刻なのであって、だから人々が政府や当事者などへの不信感を抱き続けるのである。

 だから、放射能への監視は、国民のレベルで続けなければならないのである。

 それを行いえるのは、地方自治体や自立した研究機関が住民の気持ちに沿って仕事をした場合のみである。

 繰り返して言うが、放射能は「垂れ流し状態」にあるのが、今の福島第一原子力発電所である。それは大気に海水に地下に地面に、である。

 


調整機能のない船橋市 困るのは市民
(2010.9.16)

巨大なマンションが建設されれば、そこに住むことになる人がいることは、誰が考えてもわかることです。
そうすれば、子どもだっているのですから、保育園や必要になる、学校が必要になる、というのも簡単にわかります。
ところが、船橋市は開発を関与する部署と保育を所管する部署とで「どんな事態が生まれるか」という「想定をし、対応を考える」という機能が無いことがわかりました。
9月議会での話です。

 今回は3つの例でその改善を求めました。
一つは、保育行政です。
保育園不足が深刻な事態であることは報道などでも再三取り上げられていますが、この議会には京成線の大神宮下駅と東葉線の日大前駅に「ガード下保育園をつくる」という予算案が出されました。
運営するのは、民間の福祉法人だといいますが、ガード下ですから「窓を開ければ騒音」「園庭の空は線路」です。
保育室はエアコンで調整すると言っても「保育時間中ずーっと保育室内に閉じ込める」ことが、保育などといえるものでないことは担当者も理解しているようで、「ばん、やむを得ず」と話していることでわかります。
そんな、「ガード下保育園」をJRの南船橋駅にも「お願いしていた」ということがわかりました。
南船橋駅近くには、2000世帯ちかくの巨大マンション群が造られ「保育需要」が生まれることは建設前からわかっていたのですが、開発業者と「協議」したり「行政指導」した形跡はありません。
おまけに、そのマンションを買おうと思った方が「保育園に入れるだろうか」と担当課に聞いたら「若松保育園が空いてます」というので、引っ越してきたら「入れません」と言われて、毎朝3歳の子どもを都内の保育園まで連れて通勤することなり、助けてほしい、と悲鳴をあげる事態がでているのです。
こんことでは、売れないマンションを売れるようにするために、「虚偽の宣伝に手を貸すようなもの」ではないでしょうか。
市長は「南船橋駅のことをお願いしているとは、知らなかった」と答えましたが、何とも「連携が悪い」だけでなく、各担当ごとに小さな絆創膏をもってうろうろしているように見えませんか。
私はこの事態をみて、「担当間の、『有機的結合』が無い、異常事態ではないか」と聞きました。
副市長は、事態を認め「私にも責任がある。改善したい」と答えました。
例の2は、同じマンションに関してですが、「隣にはオートレース場」があって、マンションに入ったが、騒音が酷くて引っ越すしかない、という事態なのです。
オートレースを開催しているのは船橋市と千葉県、開発業者を「行政指導する立場」にあるのも、船橋市と千葉県。
いったいどうしてこんなことになるのでしょうか?
ここにも、行政内部の各セクションの「有機的結合」が無いことが現れています。

例の3に挙げたのは、船橋駅周辺の「まちづくり」です。
船橋市内で一番伝統のある「船橋小学校」が、耐震力不足で「建替え」するしかない、という状態です。
ところが、近くにある中央保育園も建替えが必要。でも、その土地は「都市計画道路用地の中」。
駅前の道路からこれらの工事に必要な車両を通行させる道路は「あっても無いような」狭い道路だけです。
いったいどうするのか?
この問題も「どこが調整するのか?」と、6月の議会で問題提起していたのですが、今回の議会で市長はお金勘定も関連するからなのか「財政部を中心に、開発行為」として計画を進めたい、と答えました。
この方針は正しいと思います。
これまでこの計画は、教育委員会や福祉部が個別だったり、部分的な調整だけで、まさに「絆創膏をもってうろうろ状態」で、そのためにいろいろな「うわさ話」がまことしやかに語られてきましたが、ようやく「有機的結合」の結節点が確立したことになるからです。

 


 
調整機能のない船橋市 困るのは市民
(2010.9.16)

 今年の予算を決める、3月議会がおわりましたが、この予算を一口で言えば「福祉切捨て宣言予算」と言っても良いと思います。
  そして、福祉を削ったお金を「財政効果」呼ぶに至っては「言語道断」とした言いようがありません。

 何が削られたか

@ 「敬老祝い金」が全部廃止に。
A はり灸マッサージの補助対象を「65歳以上は誰でも」だったものを「70歳以上で住民税非課税者」に大幅縮小。
B 町会や自治会が行なう「敬老会行事」の交付金を「70歳以上の方一人2000円」だったものを、対象を「75歳以上に」して、5年間分を切り捨てる。
  などの高齢者福祉切捨てで、2億1千万を削減しそれを「財政効果2億1千万円」と書く始末です。

そして、
C 11年間据え置いてきた、「国民健康保険料の均等割り」を年間最高9500円を値上げに踏み切った。

 財政が厳しいというのは本当か?
 
  議会で「福祉の切捨ては、財政上避けられない話なのか」ということを解明しました。
  まず、福祉を切り捨てたお金が「財政効果」などと言うなら、法律以上の自治体独自の福祉を「全部切ったら、最大の財政効果」ということになる、それでも心が痛まないのか?
  財政が厳しいと言うなら、手を付ける中身が違う、として
@ 中核市になったことで、毎年32億円も事務費を増やしてしまった責任はどうするのか?
A 東葉高速鉄道株式会社への出資金などの9億円は、義務ではないものを引き受けているのは直ちに是正をすれば良いではないか?
B 船橋駅南口の再開発ビル「フェイス」の失敗の「しりぬぐい」5億円も毎年支出することを是正する気があるのか?
C 北部清掃工場の建替えのために「積み立て基金を6億円」も、いま積み立てる理由がないではないか?

 これらの金額を合計すると、52億円にもなるのです。
  「中核市を返上する」には、時間がかかりますが、その他はそれほど難しいものではありません。
  東葉高速鉄道株式会社への出資金などは「出しません」と言えばそれで済む話です。
  市長は、この質問を予測していたと見えて、「今日、国土交通省に要望書を出しました」と答えました。
  後で内容を調べたら「東葉高速関係の貸付金(政府の財政投融資資金です)の金利を1%下げてほしい」という「弱気な内容」にはがっかりしました。
  「フェイス」への繰り出し金が、例年より少し少なくなっていましたが、その原因が総合窓口と「きららホール」の賃借料を値上げして、「繰り出し金を小さく見せる」という、姑息なことが行なわれたことが明らかになりました。
  北部清掃工場の建替えについても、「国の補助金」と「市債」で7割以上となるから、一般会計からの当面の支出はそれほど無いはずではないか。積み立てる理由が無い、と指摘したのですが、そこにも怪しげな話が隠されていることがわかりました。
  なんと、北部清掃工場の「余熱利用の施設(レジャー施設です)は、国の補助金の対象にならない」から、そのお金も含んでいる、というのです。「財政が厳しい」からと宣伝して、高齢者狙い撃ちの福祉切捨てをしながら、総額で30億円もの基金を積み立てるというのはひどすぎます。
  こんな「市民だまし」みたいなことを、みなさんは許しますか?

議会報告として、もう一つ聞いていただきたいのが、船橋駅北口の駐車場にかかわる話です。
  あの駐車場は、船橋市が50%の出資をしている「株式会社 船橋都市サービス」が運営して大きな利益をあげています。
  駅前広場で上部は道路です。
  法律では「行政財産」と区分され、それを使用するには「行政財産使用料」を払わなければならないことになっています。
  しかし、「都市サービス」は使用料を払っていません。
  包括外部監査の報告への意見として、「これはおかしいと思いませんか」と聞いたのですが、
それにたいする説明は明確でした。
  あれは「便宜供与です」と。
  外部監査から「便宜供与」と指摘されたことは重大です。
  次の議会では、「不当な行政事務」を是正させたいと考えています。

 


 
反省した人 しない人
(2009.2.13)

 最近、麻生首相が「小泉構造改革の本丸」などと言われ、国民を見事に踊らせた「郵政民営化」に「本当は反対だった」と発言し、マスコミを賑わせるという事件があった。
  あまりの格差の拡大、ギャンブルビジネスの横行とその破綻などのもとで、「アメリカモデルは危ない」という流れが大きくなったことから、「アメリカモデルの小泉構造改革は間違っていた」という発言が増えてきた。

 競争原理こそすべて、政府は小さければ良い、民間の市場原理こそが全てをうまく解決する・・・。
  それが「勝ち組、負け組み」などという言葉をはやらせ、怪しげな村上ファンドやライブドアなどの経営者(?)をもてはやした小泉首相時代は、そんな遠い過去の話ではないのに・・・。

 ここに、「資本主義はなぜ自壊したのか」という本がある。著者の名前は 中谷 巌 という学者で、本の帯には「構造改革の急先鋒であった著者が記す『懺悔の書』」とある。
  一読をお勧めしたい本であるが、宣伝の帯で想像できるとおり「構造改革は間違っていた。それを進める急先鋒だったことが恥じられる」というものである。
  そうこうしている間に、京葉5市(船橋市議会も入っている)の議会議員の研修会で、テレビにも数多く出演している学者の 福岡 政行氏(白鴎大学法学部教授)が、小泉構造改革の推進に参画した経歴を「削除したい気持ち」だという趣旨の発言をした、という話を聞いた。
  風向きが変わったら、さっさと反省する。身ごなしの早いこと!
  先の中谷さんと比較してみたい誘惑にかられる。

 麻生首相は本当に反省しているのかどうか、定かでないが、今述べた「構造改革推進派だった二人の学者」は誤りを認め反省した人たちである。

 ところが、モデルとしてきたアメリカでさえも「市場原理は危険でさえある」という潮流が大きくなり共和党のブッシュから、民主党のオバマに大統領が変わったにも拘わらず、反省しない学者が二人(私が知っているというだけの話だが)いる。
  竹中平蔵氏と白石真澄氏である。
  竹中平蔵氏は、医療費がかさむのは(健康保険制度で)「自費診療を制限しているからだ」などと「差別医療推進」を勧め、人種差別を根底に、これまでアメリカの公的な健康保険制度を否定してきた(ノーベル経済学賞を受賞した学者 ポール クルーグマン「格差はつくられた」を読んでみてください)「保守派ムーブメント」顔負けの発言をしている。
  もう一人の白石真澄氏は、千葉県民にとっては「直接的な関係」がある「千葉県知事候補になろうという人」である。
  白石氏は「規制改革会議のメンバーだった」人で、昨年末の「第三次答申」にも名を連ねている。
  規制改革会議は、この期に及んでも(UR賃貸住宅を攻撃するのに)「市場の失敗が存在するとは想定しがたい」とか、(保育園を経営する株式会社が株主に配当することを擁護して)「配当イコール剰余という解釈はおかしい」などと答申にも記しているとおり、「根っからの市場原理主義者が支配」している集まりである。
  白石氏が「反省した人」にならない限り「千葉県民にとっては危険な人」だと、私は警告をしたいのです。

 最後に、もう一人「反省したらしい人」は、小泉元首相を全面的にバックアップしてきた森喜朗元首相で、「このごろ、しみじみ思うんだよ。市場原理の経済は良かったのかと。・・・」(毎日12/24夕刊)だと。
  間違いを認めたら、早く直したら!

 


 
詐欺ビジネス?
(2008.9.22)

 「for sale」「for sale」・・・「売り物」の看板が延々と続く住宅街。
  売っているのは、その町並みをつくっている「住宅」。
  テレビで、アメリカのサブプライムローンで住宅を買った庶民が、それを手放して「再び売り物」なった光景を何度見たことか・・・。
 
  アメリカの大手証券会社リーマンブラザーズが破産した、というニュースが世界を騒がせているし、マスコミは毎日それに関連したニュースを流している。
  そして、破産の原因に「サブプライムローンの破綻」があるとも報道している。

 この金融システムがどんなシステムかは後にして・・・

 あのサブプライムローンを借り入れて、いったんは自分の家(もちろん「本当の」自分の家ではなかったが)を持ち、夢をふくらませてくらしていた人たちの、消えた姿が私の心に浮かび上がる。
  サブプライムローンの破綻、そしてリーマンブラザーズの破産。
  この不動産を使った「経済活動?」は、間違いなくアメリカの
庶民生活を「夢からどん底」へと「もてあそんで」行われたことです。

 さて、この金融システムのことですが・・・。
  テレビに登場する、エコノミスト、アナリスト、学者・・・のみなさんは、さまざまな解説をしてくださる。
  が、このシステムがいかに詐欺的でギャンブル的か、その解明をしてくださる方の話は、テレビでは聞かない。
  もっとも、ずーっとテレビを見ているわけではないので、いるのかもしれないが・・・。

 このシステムを解明するカギになる言葉は「証券化」です。
  高い金利で貸し出した「住宅ローン」を、金利を当て込んだ高い配当を目玉に「証券にして売る」というのが、その基本的な構図です。
  世界中に売りさばいた証券が、住宅を買った人たちが払い続けられなくなって配当どころか元手も決済できなくなった。
  どこかで聞いた、無尽講の形に似ていませんか?
  仕組みを知っていて、「良い時に売り逃げたものは儲かり」、その他の人たちが「貧乏くじ」を引く。
  詐欺性とギャンブル性の色の濃いお金の取引。
  これが経済活動として、評価されているから、不思議です。
  実は、日本でも旧日本住宅公団(今は都市再生機構と言い、私がその借家に住んでいる)が建てた団地を家賃から再建築費用を引いた額を配当に「証券化したら大きなビジネス」になる、「土地代はすでに家賃値上げで返済済み!」みたいな話があって、アメリカの「詐欺ビジネスモデル」を日本にも持ち込もうとしているのだから、油断がなりません。
 
  最近、小林多喜二の「蟹工船」という小説がたくさん売れている、ということが話題になっています。
  この小説は、日本の資本主義が成長を始めた頃(資本主義は日本の大昔からあったわけではありません)今のロシアとの領海付近で蟹を採って、それを船の上で缶詰にする、「船の形をした工場」で働かされる労働者が、過酷な労働から抜け出す闘いに立ち上がる姿を描いた作品ですが、「むき出しの資本主義の残酷さ」を描いて評価され、いまの「先祖がえりした、日本の資本主義」と共通しているというのが再評価の原因、といわれています。
 
  「むき出しの資本主義」を放置すれば、「商売は限りなく詐欺に近づく」といわれていますが、この事件?は、働く人のくらしでも、商売でも、「むきだしの資本主義」を規制する時代だという警鐘として聞かなければなりません。





 新しいパンフレットができました。
 
どうぞパンフレットでご覧になってください。
 パンフレットは、全16ページです。
 ご希望の方は、メールを下さい。
(2007.4.3)

 


 6月に入って、市役所から「市県民税の通知書
 はじまり
(2006.7.25)

 この原稿を書きながら思っていることがあります。
 それは、イスラエルが隣の国レバノンに戦車を進め、空からは爆撃し、一方では「ヒズボラ」という勢力がロケットでイスラエルを攻撃しているというニュースのことです。

 考えるのは「何がもとで、殺意が生まれたのか」ということです。
 「殺意の連鎖」にも、必ず「最初」があるはずなのですから、それなら「殺意の連鎖」を「終わらせる」にも、人類が知恵を尽くせば「終わらせられない」はずがない、などということです。

 イラクでも、「宗派間の対立」と報道されていますが、「自爆」という「殺そうとしている者」も生命がけで行う行為が「なぜ行われる」のか、「なぜそのような意識が生まれてきた」のだろうか?

 でも、それは「最初に生まれた殺意」ではなく、「連鎖の中」で醸し出された「殺意な」わけです。
 「殺意の連鎖」をとめるには、冷静な「論理の整理」と「最初の殺意」の発生原因を科学の目で「解明」することから始めるしかないのではないだろうか、ということです。
 
 でも現実は、「戦争中毒」などと揶揄的に評価されているアメリカが、国内の軍需産業や多国籍企業の利益のために、この「殺意の連鎖」を利用しようとしているのではないか、という疑いを持つ人は私だけではないはずです。
 「最初の殺意」の「原因らしいもの」が、誰かの「意識的な煽動」「架空の物語」からはじまっていないだろうか、私の思考は、そこのところで一旦停止!

 もしかすると、真実が隠されているか、歴史がぬりかえられているのか、そのどちらも行われているのか、人類の知恵がそれを解明できない、ということはあり得ない。
それが希望です。


 再び 書く
  「優しすぎるのは、やめよう」
(2006.6.23)

 6月に入って、市役所から「市県民税の通知書」が送られました。
 その通知書を受け取った高齢者から「税金が10倍近くになった、どうして」「間違いじゃないのかしら」という声があちこちで聞かれます。
 「これでどうやって暮らせというの」という悲鳴も聞かれます。
 新聞にも掲載されましたが、船橋市役所にも「一日に500本の電話。問い合わせの来訪者が300人」と報道されるほど、高齢者を打ちのめす「通知」でした。
 
■ 決まったのは、2年前の国会
    決めたのは、自民党・公明党


 この「高齢者狙い撃ち」の税制改悪が決まったのは、2年前の国会でした。
 若い世代と、高齢者世代に「公平な負担をお願いする」などと言って「老年者控除」などを廃止して、収入は同じなのに「所得が増える仕組みにして、課税する」など、「手の込んだ仕組み」で、増税を押し付けたのです。

■ まだまだ増税が押し付けられる

 増税は、これで終わったわけではありません。
 「定率減税」が来年度で全部廃止になります。
 市民税を増税して、その分、国税である所得税を引き下げる、ということで、「来年度はまたまた市民税があがった」通知が送られます。
 ますます、「弱者のくらしは厳しく、マネーゲームの勝者は優雅」に、「格差が拡大」することになります。

■ 「国民を痛めつけた自民党」が「勝つ理由」

 「格差が広がった」というのは最近のマスコミでも報道されることです。
 格差をこれほどまでに「広げた」のは小泉首相率いる自民党と、連立政権を組んでいる公明党です。
 それでも「小泉チルドレン」などといわれる自民党候補が「選挙で勝つ」のは何故でしょう。
 確実に言えることの一つは、国民が「優しすぎる」からです。
 まさか、そんなひどいことをする「はずがない」と。

■ 確かめよう「政治家の宣伝」

 選挙で「高齢者をいじめる政治をします」なんていう候補者はいません。
 だれもが「福祉・教育・医療」などと口にしますが、その具体的な政策を語る候補者はまれです。
 もしかすると、共産党の候補者くらいかもしれません。
 今回「医療制度の大改悪」が国会で成立しました。
 これも「特に高齢者を狙い撃ち」していますが、マスコミはこの法律が成立したあとで「これだけ負担が増えます」という「解説」だけで、法案が審議されている間はほとんど「その中身」は報道しませんでした。
 ですから、国民はマスコミだけを見たり聞いたりしただけでは、どうなるのかほとんどわからないわけです。
 まさか、そんなひどいことをする「はずがない」、と思うのも仕方がありません。

■ 選挙で選ぶ基準は
    候補者が所属する「政党の歴史」も大切に

 
 いま、「純情きらり」というドラマが放映されています。
 61年前に終わった「悲惨な戦争」に突入する直前の時期がドラマになっています。
 「左翼運動に参加したことのある人と結婚するなら、教師をやめよ」「源氏物語は教えるな」「人を集めて『集会を開いた』のはけしからん」。ひどい時代だと思いませんか。
でも、あの時代にも日本共産党は活動していたのです。ドラマの人物は日本共産党員ではなさそうですが・・・。
 「侵略戦争に反対する」「主権は国民にある」などと。そして「特高警察」に追われたのです。
 「国民が国の主人公に」「国民の幸せのために活動することこそが、政党の役割」だと。
 戦争が終わってみたら「共産党の言っていたことが、正しかった」として、新憲法にもいくつかの項目が取り入れられたのでした。
 政治家の宣伝。それを見極めるには、こんなことも参考にして欲しいものです。
 「優しすぎないために」


なぜ?こんなに「狂った大人」が!(2006.5.16)
 
 最近、マスコミを通じて流されてくるニュースを見ていると、傷害事件、放火、殺人などの戸事件が毎日報道されて、憂鬱な気持ちになることが多いことです。
 中でも、子どもを標的にした犯罪の多発には「いったいなぜ、弱い子どもを標的にした罪を犯す大人が、こんなに居るのだろうか?」という疑問です。
 罪を犯すには、「・・・で、憎かった」「だまされたからやった」「金の分配に不満があった」など、ドラマでも「何らかの動機」が必ず伏線として描かれています。
 しかし、子どもを標的にした犯罪には、そんな動機があろうはずもないのですから、私はこれを「狂った大人」の犯した罪と呼んでいます。
 ところで、「狂った大人」が、どうしてこれほど現れるのだろうか。
 私が得た結論は「弱いものは、強いものの餌食」という考えが広がっている結果ではないか、ということです。
 「子どもを殺した、それは相手が弱かったから。だから、自分も強いものには殺されても仕方がない」。
 テレビで、「他人事」のような表情の「容疑者や犯罪者」を見ると、「悪いことをした」とか「反省している」という感情がないだけでなく「これから迎える、刑罰」に対する心情も、ただ「仕方ない。やれば・・・」みたいなものなのではないか、という推測しかできないのですが・・・。
 「弱いものは、強いものの餌食」。
 ここには、人類が発見し、長い歴史をかけて発展させてきた「自由」も「平等」も「博愛」も、すべて失った、弱肉強食の「むきだしの動物」を見るようではありませんか。
 このような心情をもつ人になったのは何故なんだろうか?
 私が考えるのは「差別」ではないか、ということです。
 いろいろな形の差別で、人が「人の社会」から排除されたり、自ら逃避して、少しずつ「人の心を失い、動物に近づく過程」を想像してみてください。
 こんな「残酷な話」があるでしょうか。
 「人の心も、お金で買える」とか言ったという人がいましたが、その人には「弱者は、まさに餌食」で、餌食になった「弱者の株主」を食い尽くして「巨額の富」を手にしたのではないでしょうか。
 「自己責任」「だまされたのが悪い」と言うのも「弱肉強食が当然」ということを「別の形で表現した」ものです。
 このところ、子どもを救うための見守り活動が活発になっています。
 「見守ること」は大切なことですが、一方で「狂った大人が生まれる原因」を放置したままでは、根本的な解決には「ならないだろう」ということです。


 
節約すれば、安くなる--
    下水道料金の算定方法が改善される見込み
(2006.3.8)

 この報告を、インターネットで見てくださる方にはあまり「朗報」ではないかも知れませんが、ひとりぐらしのお年寄りのみなさんなどには「よかった」と思っていただけるのではないかと思います。
 近所にそんなお年よりの方がいたら、ぜひ伝えてくださいませんか!

■ 上水道を節約すると下水道使用料も安くなる仕組みになります。

 これまでは、水道の水をいくら節約しても「下水道料金の基本料は毎月10立方メートルが最低額」となっていたため、895円(2ヶ月に一回の徴収ですから、その2倍)の料金より安くならない仕組みでした。
 今回の改定で下水道使用料は1立方メートル単位で小刻みに決めることになり、月に1立方メートル未満の人は624円(2ヶ月分でその2倍)が最低となり、「節約した人が報われる」料金体系になりました。
 この改定のきっかけになったのは、日本共産党の控室への「一本の電話」でした。

■ 最初の衝撃
 
 一昨年の夏、控室に電話がありました。「下水道使用料は2ヶ月で20立方メートルが最低で基本料金になっているけれども、ひとりぐらしの高齢者がこんなに水を使わない。水を節約すればするほど、馬鹿ばかしい下水道料金になっていると思うので、調べてください」というものでした。
 しらべると、さらに不合理なことがわかりました。
月に10立方メートル以下の水しか使わない世帯は、水の使用量全体の2.38%の水しか使っていないのに、下水道使用料の負担の割合は5.37%だったのです。
 早い話が、「節約している人たちが、高い割合の料金を払わされている」ということだったのです。
 実は、私も高齢者のみなさんが使っている水の量がどれほどなのか、その統計を見るまで知らないでいました。
 毎日、「朝風呂」「朝シャワー」子どもが居て、団地の共益費で下水道の処理をしていたこともあって、私にとってこの電話は「衝撃」でした。

■ 議会で取り上げたのは16年9月
 
 このことを議会で取り上げたのは一昨年の9月議会でした。
 市も「矛盾のある料金体系」であること、「節約しても報われないのはおかしい」ことは認めましたが、「全体の見直しの時に合わせて考える」として、今回まで引き延ばされてきました。
 でも、この議会で見直しが行われれば「改善」です。
 
 電話をかけてきてくださった方は、名前を教えてくださいませんでした。でも、電話の内容は「道理のあるもの」でした。一年以上かかりましたが「道理が通りました」ことを報告させていただきます。
 ありがとうございました。



福祉に使ったお金と、カールマルクスの呪縛
(2006.1.27)

1. ある時 思いついた疑問
 
 
福祉にお金を使うのは、経済をダメにする。
 お年寄りにお金を使うのは「枯れ木に水をやるようなもの」。などと、どれだけ福祉攻撃に「経済効果論」が使われてきたでしょうか。
 革新自治体を攻撃する時にもこの論理が盛んに使われました。
 
 ある時、「中国のお葬式で、死者に持たせるお金は、本当のお札ではない。全くの別物なんだって」という話を聞いた瞬間、私の頭に強烈な疑問が浮かび上がったのです。
 「そうだ、福祉に使ったお金を、誰も燃したりするはずがない」「どぶに捨てる人だってありはしない。どこに行くんだろう?」 という、疑問でした。
 
 それから、私の「疑問解明の旅」が始まったのです。

 そして、私が得た最初の「発見」は、経済的に困っている人に渡されたお金は「時間を置かずに消費に使われる」すなわち、「貨幣の循環が早い」ということでした。
 考えれば、誰だって簡単に想像できるものです。
 お金を循環させると言うことは、経済的な行為ではないのか?
 ならば、その経済効果はどうなるのか?
 頭の中では「ああ行って、こう行って、消費があれば、それを支える生産にお金が回ることになるではないか」。
 そうなるはずだから、誰かが研究しているのではないか?

 つぎには、いろいろな情報あさりが始まりました。
 ところが、「私の仮説」を証明する情報は「以外に少なかった」のです。

 そうしているうちに、「滝上さんという方」が同じようなことを書いていた。ということを聞かされました。
 この方は滝上宗次郎さんだということがわかり、さっそく電話をしたらご丁寧にFAXで資料を送って頂きました。
 滝上さんは「厚生行政の経済学」という本も出していらっしゃいますので、紹介させていただきます。

 つぎに、今は発行されていませんが「赤旗 評論特集版」の1998年1月19日号に、日本共産党の参議委員議員だった有働正治さんが「社会保障の生産、雇用効果は公共事業より大きい」という文章を発表されました。
 私の仮説は「証明され」ました。
 この文章を、「いま入手する」にはどうしたらいいかわかりませんが、幸い私の手元にはコピーが残っています。

2.最近、「マルクスの呪縛」を感じた話

 「あけび書房」から発行された、竹崎 孜 著「スウェーデンはなぜ生活大国になれたのか」という本を読みました。
 この本を読んで、スウェーデンでは60年も前にバッティル・オリーンという「政治家かつ経済学者」が「社会政策に投入される公的資金は児童手当金、住宅手当金、教育費、失業手当金制度などを介して、"労働再生産の原動力"に変わるものであり、出費を無益と見るのは誤り、むしろ投資形式としては有効」と強調した、ということを知りました。
 スウェーデンは社会保障が充実している国、として知られていますが、「経済がダメになった」などという話を聞いたことがありませんでしたが、この本から「国民経済も好調」ということがわかりました。
 「・・・むしろ投資形式としては有効」が証明されていることが伺えます。
 スウェーデンは「資本主義国」です。そのスウェーデンの経済学者はどんな研究をしているのでしょうか。興味があります。

 ところで、日本でこの「《社会政策に投入される公的資金》を研究対象とした経済学」が発達しているという風には考えられません。
 「経済学=資本の研究から出発」という「マルクスの呪縛」を感じるのですが、これを読まれた方で「こんな研究がある」とか「それは経済学の研究範囲から逸脱している」とか、いろいろ情報をいただければ、と思います。
 「日本という国の未来」をどんな国にしたいのか、「いま考えられる範囲で、どんな理想を画けるのか」「そのためのプロセスには、どんな道がありえるのか」それを考えるには、この、「社会政策に投入される公的資金(=税金)」を研究しないでは進めないのではないか、これが「新たな疑問」です。



「一ヶ月」という時間
(2006.1.24)

 前号で、「商売と詐欺」について書いたばかりなのに、今度はライブドアの「堀江社長逮捕」というニュースがマスコミをにぎわしています。
 この事件は、耐震偽装事件より「はるかに詐欺的」事件です。
 「詐欺的」というより、インターネット取引で損をした個人投資家などは、「詐欺にあった被害者」で、「詐欺事件」という方が適切かもしれません。
 ライブドアのやり方ができるようになった背景にも、「商法の改悪」という「規制緩和があったから」だということをまず聞いてほしいと思います。

  「想定内」「ホリエモン」などと、「もてはやしたマスコミ」
   「選挙に利用した自民党」それぞれの「言い訳」に注目を!


 ライブドアの堀江社長は昨年一年間、マスコミの寵児でした。
 プロ野球の球団買収話、日本放送買収やフジテレビとのやりとり、そして「総選挙に出馬」など・・・。
 「想定内」という言葉は、流行語大賞になり、本人は「ホリエモン」などと呼ばれ「バラエティ番組」にも出演、マスコミにもてはやされました。
 それに「目をつけた」自民党は、郵政民営化法に反対した亀井靜香氏の対抗馬として総選挙に出馬させるということまでやりました。
 「自民党公認ではないから」、という「言い訳」をするでしょうが、自民党の幹事長がどれだけ「てこ入れをしたか」、を見れば「その言い訳」をすんなり受け入れる国民がどれだけいるでしょうか。
 マスコミも自民党も、これからどんな「言い訳」を繰り返すでしょうか?
注目していきましょう。

 ■ 1ヶ月という時間

 「耐震偽装」と「ライブドア」事件、この「二つの事件」が、わずか一ヶ月の間に起きました。
 「何の規制もない資本主義では、商売が限りなく詐欺に近くなる」という「むかし聞いた話」が、たった一ヶ月で二つも明らかになったことは、この「日本という国」が極めて「末期的な状態」になったことの証明ではないでしょうか。
 時には「一ヶ月」という時間で、大きな変化を実感できることもある、ということを感じたのは私だけでしょうか。
 「二つの事件」は、今後司法の場での解明も進むでしょう。
 でも、その「温床は残されたまま」になるか、さらに「拡大される」ことになるのではないでしょうか?
 小泉「構造改革」は「拡大しよう、という宣言」をしているのですから。


 
「商売」と「詐欺」の違い
(2005.12.26)

 「構造計算書偽造事件」が毎日のニュースになっています。
 船橋市もこの事件で「有名になる」という不名誉な結果になってしまいました。
 さて、この事件からいろいろなことを考えさせられたのは・・・。

■ 阪神・淡路大震災を利用してつくられた「おかしな構造」

 建築確認申請の処分は、以前は建築主事がいる船橋市などの行政庁が行っていましたが、あの災害のあと「この処分を迅速にする必要がある」「安全のために中間検査を強化する」などと言って、民間検査機関がつくられることになりました。今回、偽造された構造計算書を「すんなり通した」のが、「イーホームズ」など、ほとんどこの「民間検査機関」だったのです。
 「民間は商売だから、安くしてたくさんの処分をすることになる。そうなれば十分な検査はできなくなる」という意見を無視して進められた結果です。
 「多くの犠牲者を出した災害」を逆手に、この「おかしな構造」をつくったことに、まず腹がたちました。

■ 商売か詐欺か?

 この事件で「イーホームズ」「総合経営研究所」「木村建設」「サン中央ホーム」「姉歯建築事務所」「ヒューザー」などという企業の名前が出ています。
 これらの企業が「全部が悪」かどうかはこれから解明されることでしょうが、感じられることは「うさんくさい仕事」をしていた、ということです。
 自分たちが手がけた建物が、大きな地震で倒壊し、たくさんの犠牲者がでても、その時には「天災だから」と、逃げるつもりだったのではないか?
 いま儲かれば、あとは偽装倒産で逃げようと考えたのではないか? などなど・・・です。
 このところ、悪質リホーム業者と、それと結託していたサラ金業者の事件もありました。
 さらに以前には豊田商事事件、先物取引での詐欺まがい事件など、思い出すだけでも多くの事件があります。
 「企業モラルの破綻」という意見もありますが、私が思い出すのは、何の規制も無い資本主義では、『商売は限りなく詐欺に近くなる』という、「むかし聞いた」話です。
ニュースで、小泉首相の「かんからみんへ」「規制緩和だ」「何でも民間だ」こんな言葉を聞くたびに「もっと詐欺が増える」と私は確信してしまうのですが、読者のみなさんはどうでしょうか?

いま本当に必要なことは、資本主義のもとでも「なんでもあり」ではなく「規制をかける」ことです。
「少々時間がかかる」とか「すこし費用が増える」ことと、被害を回復するために要する時間と費用を考えたら、間違いなく「事前に規制する」ほうが無駄を出さなくてすむのですが・・・。

そのためには、二度と「なんとかチルドレン」みたいな人を政治の世界に送らないようにしたいものです。
「構造計算書偽造事件」が毎日のニュースになっています。
 船橋市もこの事件で「有名になる」という不名誉な結果になってしまいました。
 さて、この事件からいろいろなことを考えさせられたのは・・・。


 やっぱり!
  「財政がたいへん」は「市民おどし」の口実!
    現実とは「乖離している」と市も認める
    (2005.11.28)

 2004(平成16)年度の決算審査終わる

 2004年度の船橋市の一般会計などの決算の審査が終わりました。
 日本共産党は一般会計や小型自動車競争事業特別会計などに「不認定」の態度表明をしました。

 児童養育手当をばっさり切ったり、介護利用料の助成を制限したり、福祉を切り捨てた「財政健全化プラン」のおおもとになっていたのが「今後4年間で300億円の歳入不足が生じる」という「財政危機論」でした。
 ところが、今回の決算でプランの最初の年度だった平成16年度見ると55億円の赤字が出ると宣伝していたのが、不足どころか「剰余金32億円」を出していたことが明らかになりました。
 これを問われて、市は「このままでは」という説明をつけた上での金額だったが「確かに乖離している」と答え、「財政がたいへん」というのは福祉を切ったり、市民負担を押しつける「口実」だったことが明らかになりました。
 単年度でプラスマイナスで87億円もの見込み違いをしながら、「プランで決めた」市民負担の押しつけや福祉の切り捨てを進めることは許されないことです。

 決算審査の前に「関係書類の保存機関が1年なので、廃棄しました」だと!
 
 今回の決算で、もう一つ、許されないことが明らかになりました。
 「西部消防保健センター」の建設工事で、落札価格の1割近くにもなる「追加工事」が、随意契約されていたことです。
 この追加工事には、「エレベーター工事」が入っていましたが、工事契約を審議したときの図面には「EV」(エレベーター)の記述がしっかりと入っていました。
 7200万円もの工事が、「追加で、それも随意で」契約するというのは最近ありませんでした。
 これが、最初の図面に無く、落札した業者以外の業者も同じ条件で入札に参加したのであれば、説明に合理性もあろうというものですが、その資料を提出して欲しいというと「入札図書の保管期限は1年なので、落札業者の図面以外は廃棄しました」という答えが返ってきました。
 これでは、エレベーター工事が「追加された」という「証拠」は無くなってしまった、ということです。
 この工事は2年間の「継続事業」で支払いが終わったのが16年度です。
 だから決算に出てきているのですが、その審査の前に「書類を廃棄して」しまうということは、「審査をするな」というに等しいではないでしょうか。

 この工事を請け負った「共同企業体」の中には、船橋市の審査ミスで「違法建築物」を完了間際まで建築し、それが分かって建物を一部取り壊すことになったため「1億円の損をした」と言われている業者が入っています。
 市のミスがあったことから、その「穴埋め」に「二重に」追加工事を出したのではないかという疑惑がありましたが、それを解明する資料は決算審査の前に、すでに「廃棄」されたというのです。
 これでは、証拠隠滅です。


いまの人へ 未来の人へ


 いつの時代も、世の中は「過去の人、今の人、そして、未来の人」でつくられている。
 私は、「いまの人」から「過去の人」に移行中だと、自ら考えているところです。この「移行中の人」が最も心配していることがあります。
 その核心は、いまの日本社会に「未来にたいしてあまりにも無責任な」現象が起こっていないか、と言うことです。
 18世紀に、フランスのルイ15世の愛人だった、ポンパドール侯爵夫人が言ったと伝えられる「我が亡きあとに、洪水は来たれ」という有名な言葉がありますが、この場合「洪水に見舞われる人」すなわち「未来の人」はどうなるのか?
 ポンパドール侯爵夫人のように、「考えた上での、捨てぜりふ」には、異常な迫力を感じますし、言われた側にも「そこまで言うか!なにを!」という「明確な反発心」が生まれるし、歴史もそうなっているように見えます。

 ところが・・・
 
 いまの日本社会では、「考えない。言わない」で、「なんとなく無責任」「みんなが、少しずつ無責任」という流れが広がっているように思えてなりません。
 それをいちばん感ずるのが、政治と官僚機構のありかたです。
でも、これは「ポンパドール夫人の言葉のように」正体をはっきりさせないために「見えにくい」。
 
 これから、私が関わったいろいろなことから、この「なんとなく無責任」「みんなが、少しずつ無責任」だと感じてきたものをみなさんに伝えたいと思います。
 その結果は、間違いなく「未来の人」の肩に重くのしかかる、重大なことなのですから、特に「未来の人」=若い人には、考えて見て欲しいと思います。
 いまは「まだ生まれていない、未来の人たち」にも、「解っていたが、力およばず」ツケをまわす結果になってしまった、ことをわびる気持ちも込めて・・・。
その1


「ジョーカー抜きゲーム」の最後は ?
結局 マンションは 国民の税金を 投入せざるを得なくなる
  
1、 ある事件
 母親とその息子が、それぞれローンを組んで、マンションの一住居を購入した。
 金融期間は、母親には生命保険の加入を条件としたが、息子には若いことを考慮してか、生命保険の加入を条件とせずそれぞれに融資した。
 ところが不幸な事に、その息子が先に死亡してしまった。
 それからが、この事件が始まるのであるが、なんと金融機関は死亡した息子の口座を閉鎖するどころか、「大丈夫ですから、お母さんが振り込んでください」と、子どものローンの支払いを母親に肩代わりさせた。
 なんと、その期間が7年間にも及んでいた。
 収入が減った母親が、その整理を私に相談してきて、その内容がわかった。
なぜ金融機関は、違法を承知で死亡した人の口座を閉鎖せず、肩代わりをさせたのか。
考えられるのが、「相続権の放棄」をさけ、債権の回収を優先させたことである。
この場合、この子どもには他に相続権者がないこと、他に資産が無い事から、母親が負債の相続を放棄すれば、少なくとも子どもの負債を肩代わりする義務はない。
 また、共有名義の一住居の部分権を、もし競売にしても、それに応札する人はありえない。
 なぜなら、そこには母親が居住しているのであるから。

2、老朽マンションを相続するか

 先の事件のマンションは、まだ老朽化してしまったマンションではない。
 しかし、ここで考えてしまったのは、もし老朽化してしまったマンションなら、それだけが「相続財産」だったら、所有者が死亡した場合、スムーズに相続が行われるだろうか? という疑問である。
 行政の住宅を担当する職員に、この疑問をぶつけてみたところ、「そんな心配は、ありえない」と軽くいなされたが、数日後「将来は、大きな問題になるかもしれない」と返事をしてきた。
 じつは、その間に、あるマンションを建設し販売する業者と交渉する場面があったついでに、その話をしてみた。
 「更地にマンションをつくって売るのは、価格も算定しやすいと思うが、老朽化したマンションの除却費用を計算したら、とんでもない価格にならない?」
 「容積率が法の目一杯に建設されているマンションだと、それまで以上の戸数を稼げるわけではないから、一戸の建設費と除却費用と両方を合算しないと、販売価格をきめられないよね。そうすると、更地に建設するよりものすごく割高にならない?」
 などと、聞いているうちに、業者の言った事にどきりとした。
「その前に、少子化で住宅が余ってくることになる。今でも統計的には住宅戸数が世帯数を越えている、質の問題を抜きにすればね」
「今は、都心に近いところに、グレードの高いマンションを作って売る。という戦略だが、それだってそう遠くない将来には行き詰まる」その先は見えない、というのである。
 いまは、区分所有のマンションに居住している世帯が何百万世帯いるだろうか。そのマンションは、30年前後の寿命だとも言われている。
 そして少子化、子どもの世代には結婚した2人のそれぞれの親が「区分所有者」ということは充分ありえることではないか。
 それぞれの親が死亡した場合、さてどれを相続し、どれを「相続しないか」が選択されることになる。
 間違いなく、老朽化、建物全体の容積率、利便性などが選択の基準となるだろうが、「選択されなかった」マンションは、まず「売ったらいくらになるか」が最大の関心になる。そして、売れなかったマンションは「相続するか、放棄するか」もう一度選択にさらされる。
 売れないマンションは、まちがいなく「負の財産」で、他の相続財産がなければ「相続放棄」の対象となる。

3、相続放棄されたマンションはどうなる?

 相続を放棄された財産は、基本的に「国の財産」となる。
 そこで、売れないマンションを国はどうしようとしているのだろか?
 順序だてて、検討してみると、
 まず、競売にかける
 それでも売れない
 居住者のいない マンションの管理費・共益費を国が負担するだろうか
 負担をすればよいが、その財源は税金ではないか
 負担をしなければ、他の区分所有者がその分を肩代わりしないかぎり、マンションは一気に資産価値を失ってしまうことになる
 区分所有法で、「売れないマンションを買い取る」決議をすることなど、ありえるだろうか
 そして、マンションが棟ごと廃墟になりかねない
 廃墟を、相続する相続権者などいるだろうか
 ついには、廃墟になったマンションが、棟ごと「国の財産」になる。

4、廃墟になったマンションの資産価値は

 廃墟になったマンションの資産価値はどう計算されるのだろうか
 それは、放棄された「土地の売却価格」から、残存建造物の「除却費用」を差し引いたものではないだろうか
 地価バブルの時代、どんなマンションが建てられたか?
 私のまわりには、建蔽率も容積率も目いっぱいに使われたマンションがたくさんあるが、あの除却費用と更地にしたあとの土地の売却価格を比較して、土地代が必ず高くなるという保証があるとは思えない。
 そうなれば、国は「再びバブルが訪れるまで」は放置するにちがいない。そうでなければ税金を投入するしかない。
 再びバブルが来るか?少子化で日本と言う国がしぼんでいる時に、バブルを期待するのは無理なのではないだろうか。

5、最初から「住宅としての基準を満たしていない」マンションが次々に建設されている

 都市計画法という法律があり、都市部ではほとんどの土地にそれぞれ「用途地域」がきめられている。
第一種低層住居専用地域から工業専用地域までの間に「住居地域」「商業地域」「準工業地域」など、12種類に分けられて「用途地域」が決められる。
 そして、工業専用地域以外の用途地域には「住宅が建設可能」である。
この「建設が可能な」地域が、いま不動産業や住宅産業といわれる企業の「儲けの対象」にされているのである。
 例えば、商業地域や工業地域は、住居専用地域よりも建ぺい率や容積率の基準が緩やかで、建ぺい率80%、容積率400%などと「土地の高度な利用」を認めているが、それは店舗や工場を建てる時には、住宅のように「日照」も「通風」も「静穏さ」も無視できるから、「それだけ空間を使っても仕方がない」という考え方からそうなっているのであるが、そこに「住宅を建てる」ときに、店舗や工場の基準で良いのだろうか。
 しかし、現実には、この「緩やかな基準に目を付けた」業者が、「工場跡地」や「疲弊した商店街」などに、次々と「マンションを建設して」いるのです。
 その結果はどうなっているか?
 埼玉県の浦和駅周辺の商業地域では、「まず北側から」マンション建設が始まった。そしてそれが売れると、こんどはその南側にマンションを建設する、ということが次々に行われた。
「売るときに」は、「日当たりの良い、南向きのマンション」として、「高く売れる」が、買った人の住宅の「南側にマンションを建てられたら、まったく日の当たらない住宅」になってしまう。
 これが、くりかえされている!
 さらに、このような商業地域などに、「団地型」のマンション群を建設する場合は、最初から「日照の無い住宅」さえ堂々と作られてしまう。
 どうしてこんなことが発生するのか?
 それは、店舗や工場には「日照は、あっても無くても良い」ということを、「用途地域がそうだから、たとえ、住宅だとしても、それは同じ」だという論理がつくられた。
 結局、そんな住宅を買ったのは「判って買った本人がばか」というわけである。
 そのことが判ったときには、住宅産業などは「売り抜けてしまった」あとで、責任など「一切無い」と言う。
 商業地域に店舗を作るならそれで結構だが、少なくとも「住宅産業」と言われる業者が「住宅用の建物」を作るときには「住居地域の水準」に合った建物をつくるのが「最低限の商道徳」ではないだろうか。
 これが通用しないなら、行政の決めた「用途地域の指定」など、何の役に立つというのだろうか。もはや「商道徳に対する期待」ではなく「規制」への道しか残っていない。
 こんなマンション群が廃墟になったら、それこそ「巨大な、負の遺産」を行政が背負い込むことになるではないか!

6、いずれにしても 税金の投入は避けられなくなる

廃墟のマンションは、税を投入してまで保存するような、「遺産としての価値」はない。
だが、税を投入しなければ廃墟として街を台無しにする
いずれ、税を使って「かたずける」しか、道はない。
これまで、日本で建てられた区分所有のマンションは、まもなくそういう姿をさらすことになるのではないだろうか。

7 すべては「未来の人」に責任転嫁

 これまで述べてきたように、現在まで建設されてきたマンションは、一部の富裕層向けのものを除いて、最終的には税の投入という事態が避けられない。そうでなければ、阪神大震災時の一部でおこった悲劇が、全国的に広がることになるしかない。
 住宅とは、そもそも何なんだろうか。
 住宅にも階級社会が反映されている。
 ごく少数の、労働から疎外された階級にとって、それは、巨大な空間を独占し、加工し、装飾し、支配する人民を威圧するための「城」である。
 そしてそれは、ほとんどが過酷な徴税か、過酷な搾取か、いずれかでつくられた。
 そこには、住宅問題など、存在しない。
 
 住宅問題が最初に社会問題として、登場したのはイギリスで、いまから160年近くも以前に、当時の労働者階級の極めて劣悪な住宅事情をどう解決するかで「住宅問題での論争」があったことから、それ以前から住宅問題は「都市で」発生したことがわかる。
 労働者階級にとって住宅は、労働力の拡大再生産を保障する重要な環境の一部である。ですから、この労働者階級の住宅を、どう位置づけされているかは、その社会の発展の指標となる。
 そこで再度、税との関係も含めて検討すると、
 現在の日本で、行政は、都市での労働者階級の一般的な住居になりつつあるマンションに、どんな対応をしているでしょうか。
 まず、マンションを供給する企業の利益を保証するためには、法律の逐条ごとに違反しないか、のみを判断し、法の目的がないがしろにされても、決してそれを是正しようということはない。
 都市計画法で、商業地域と決めようが工業地域と決めようが、そこに巨大なマンション群を「商業地域や工業地域の基準」で建設して「売り抜ける」商法も放置されたままでいる。
 そして、近隣との緊張を拡大している。   
 その一方で、マンションを確保しようとする労働者が、その経済負担に耐えられるかどうか、その資産が「資産であり続けられるか」などについては、一切関心をしめさない。
 そして、最後には「消極的に」税の投入で「かたづける」という道を選択しています。

 この結果が、「未来の人」たちに、どんな影響を与えることになるのか、誰にでも簡単に「推理」できます。

 
 〜「出前の」受付制度〜 
   提案にいろいろな方から期待が


 今年はみなさんにとって、どんな年だったでしょうか。
 私にとっては、選挙で明けた年でもあり、みなさんには本当にお世話をいただいた年でした。

  さて、春の選挙で、みなさんから大きな期待が寄せられました政策の一つ「出前受付制度」について今度の議会で取り上げました。
 これまで、市の幹部の人などにいろいろ「評価」や「意見」聞いたり打診をしたり、提案にあたって準備をしてきました。
 これまで、この案に「問題がある」と言う職員はいませんでした。
 議員から聞かれて「配慮した」職員はいるかもしれませんが、ほとんどの職員は「良いアイデアだと思う」「いずれそうしなければ高齢社会を支えられなくなる」などと賛同されました。
 そこで今回、私としては「自信をもって」取り上げることができました。内容は、高齢者などのために市の職員が出向いて相談や申請の受付をする、というものです。高齢者やハンディキャップを負う方が、シルバーカーを押したり車椅子などで、役所や出張所に来るのはたいへんなことです。そのたいへんさのために「申請ができな」ければ、さまざまなサービスを受けられないことになります。他人に頼めば「委任状」をつけ印鑑を渡すことにもなりますが、それはそれで「心配の種」です。これを解決するのが、「市の職員が訪問する」出前受付です。担当する職員には、定年後の一定期間「再任用」で採用された「非常勤」のベテラン職員にお願いするのが最も効率的です。将来新しく若い職員がたくさん採用される時には、「研修」のために一緒に仕事をすることも良いことです。
 12月3日、議会で、これを細かく提案したところ、市の職員からも反響がありました。
 「窓口に家族が申請にきても、やれ『委任状』、やれ『身分証明書』だと、事務方としては、それを確認したり提出させなければ、安全性が確保できない。そうすると『うちの娘のことだ』『親のことだ』と身内の方でも不愉快な思いをさせる。出前ならそんなことをさせないですむ。良い提案だった」などと語ってくれる管理職の方もいます。もちろん、高齢の方からは「早くそうなれば、どれだけ助かるか・・・」という声はたくさん聞かれます。
 
 できるだけ早く実現したいと思っていますが、それまでにもいろいろな段階でお知らせしますのでご支援いただければと思います。


市長も意欲を示す。
本町4丁目のまちづくりで・・・

 船橋小学校を囲む本町4丁目は、昔からの家並みがある、すてきなまちです。
 しかし、それだけに道路が狭かったり災害時の避難場所にも不安もあります。この家並みも大切にしながら、安全で、安心してくらせるまちにするために知恵が必要になっています。
 7月8日、藤代市長に前市議の津賀さんと、この地域の将来についての申し入れをしましたが、市長もこの地域の将来のためにも、今が大切だ・・・、と意欲を示されました。
 写真は、津賀さん手作りの大きな地図に市長も立ち上がって・・・

Sさんの「一歩」       佐藤 重雄
 一斉地方選挙が終わりました。再び議会で活動させてもらえることに感謝します。
 今回の選挙で市民のみなさんに聞いていただきたかったのは、船橋駅の南口再開発事業は「終わった」どころか、これから毎年10億円近い税金を投入する計画で、まさに「これから」が問題だと言う事でした。
 そんなことには「一言も」触れないで、「よかった。よかった」と言っている「与党のみなさん」の「気楽さ」にはあきれました。

 きびしかった今回の選挙でしたが、感動もありました。
 その一つは、南本町のSさんのことです。
 街頭で演説しているところに、少しずつ近づいてくるSさんの姿が見えました。Sさんは90歳を数年前に超えている方です。耳も遠くなっていることも聞いていました。
 一歩、一歩・・・。足も衰えているSさんの「一歩」はわずか15センチぐらいでしょうか。24年前のSさんと同じなのは、手をあげてあいさつするかたちです。
 私の話だって、良くは聞こえていないだろうに・・・。Sさんの「一歩」に励まされたのは私でした。
 ありがとうございました。
 
津賀ゆき子さんより送られてきました。
食べられない、お酒のおつまみです・・・
(絵手紙です。)
新しいパンフレットができました。
 船橋市の財政運営は、市長と議会の「無責任のもたれあい」になっています。どうぞパンフレットでご覧になってください。
 パンフレットは、全12ページです。
 ご希望の方は、このホームページにメールを下さい。

本町商店街通り
 船橋本町郵便局前横断歩道に信号機設置!
    
-3月末までに完成予定です-

本町の中央図書館付近では、ここ1・2年で8件もの交通事故が起きています。高齢化地域のため、お年寄りが車に接触する事故がほとんどです。
歩行者が安全に道路を渡れるようにと日本共産党市議団では信号機の設置を求めてきました。
昨年の10月には警察・市・住民のみなさんとの立合いで、郵便局前の横断歩道に信号機と安全対策施設整備の確認がされていましたが、やっと2月から工事が始まることに決まりました。


          ↑郵便局前の横断歩道。車の往来がとってもはげしい! 

  
  宮本にお住まいの松川さんよりメールを頂きました!
   
    めまぐるしく変わる街の様子。船橋の市街地はまさにこんな感じだ。
  私は生まれつき目に障害があるが、一人でどこへでも出かける。
  私が住んでいる宮本から本町通を通って船橋駅までは
  点字ブロックが敷設されており、安心して歩くことができる楽しめる道である。
 
今年4月には本町郵便局前にだれにもやさしい信号機が設置されることになった。
  これは住民と日本共産党船橋議員団が要望し実現したもの。
 これで安心スポットがまた一つ増えたことになる。




なぜ 風車は止まったの?
(2002/12/4)

 アンデルセン公園のシンボル(?)と宣伝されている、「デンマークから持ってきた風車」が、「止まっている」というのです。
 「風が無ければ、しかたがない」ぐらいに思っていたのですが、調べて見て「ふざけるな」としか言いようのない思いがしました。

 
これは「風車じゃない」、「壊れた扇風機」だ

 デンマークのオーデンセ市から、材料も職人も呼んで造られた「本物の風車」であるはずが、なんと「風で動いたのは僅かの間」で、あとはモーターで風に関係なく「まわしていた」というのです。
 ですから、羽に風が当たっても抵抗がないように、風を受ける帆布を巻いてしまっていて、まるで「紙を剥がした障子の桟」状態の「風車」をぐるぐる回していたといいます。
 これは、風を受けて回る風車ではなく、「風も起こさない、壊れた扇風機」です。

 
「ニセモノの管理」には「気が入らない」のも当然?

 材料も職人も本物の風車が、「ニセモノ」と言わなければならない理由も聞いてください。
 風車は、羽に風を受けて軸が回り、その軸の回る力で臼を回して粉を引く・・・。それがアンデルセン公園の「デンマークの風車」だったはずです。
 ところが、アンデルセン公園の「風車」は、4枚の羽根を持つ優雅な姿は本物ですし、内部の木製の歯車なども本物です。ところが、力を臼に伝えるはずの軸が、「なんと・・・モーターにつながっていた!!」のです。
 それでは、臼を回すのはどうなっているか?と言えば、もう一つ「別のモーター」がデンと据え付けられているではありませんか!
 頭と尻尾は本物ですが、お客さんには見えない中間はまったく「つながってもいない」どころか、「電気仕掛け」で別々のものだったということです。
  今回止まった原因は、軸受けに乗っている軸の補強のための鉄板が、「ずれてしまった」のですが、潤滑材が切れて、軸もずれていたのですから、とうぜんです。
 「ニセモノ風車」の管理に気が入らなかったのでしょうか? 

「ニセモノ」でも一億数千万円  本物にして、本物を見てもらおう
  
 この「ニセモノ風車」は、高額の買い物でした。オーデンセからやってきた職人さんも、まさか「頭と尻尾」だけを作らされる、とは思っていなかったのではないでしょうか。
 本物部分の製作や組み立ては、きちんと行われています。しかし、「なげやり」とも思える部分がありました。
 それは、帆布を張る羽の骨組みです。
 この骨組みは「人が登って作業ができる」ようにできていなければなりません。ところが、すでに小骨の骨組みの接合部分が離れています。危なくて修理に登ることなどできそうにありません。
 「どうせ、モーターで廻す、ニセモノ」
 「帆布など、すぐにはずしてしまうにちがいない」
 「二度と来ることもあるまい・・・」。
  手仕事に誇りを持つ人なら、こんなところに職人さんの「むなしい気持ち」が現れていると感じるのではないでしょう か。
  もう一度、「本物のデンマークの風車」にして、本物の風車をお客さんに見てもらいものです。



    ちょっと 推理 を・・・・ (2002/11/13)

 最近二つの出来事がありました。
 一つは、我が家にマンション業者らしい人からの電話です。
 少し省略しますが、話を再現しますと・・・。
  業者らしい男 「家賃を払い続けるなら、マンションを買いませんか」
  私 「いや、そんな計画はありません」
 業者らしい男 「資産になりますよ。家賃を払い続けても何にも残りませんよ」
 私 「別に、資産を持ちたいわけでもありませんから」
 業者らしい男 「自営業ですか」
 私 「あなたにそんなことを話す必要ありません」
 業者らしい男 「なに、喧嘩を売るのか!」 そして「ガチャン」と電話は切れました。

 「業者らしい男」とわざわざ言うのは、もし「本当の業者」だったら、こんな「やくざも驚く」ような「とっぴな会話」になろうはずがないと思ったからでした。
 ところがその後、業者も「セールスの下請け」をしているから、あり得ない話ではない、ということを聞き、「なるほど・・・」と感心したことです。

 もう一つは、
 船橋駅北口に31階建てのマンションが計画されている、ということから始まった話です。
 この地域は商業地域と都市計画決定がされているのに、「デベロッパーが住宅なら『売り抜けができる』が、商業施設だと『継続が生じる』と言っている」ということに対して、船橋市が「売り抜け」に合意したという「記録」が出てきました。
 住宅なら「売り抜けができる」という表現に、今のマンション業者の「本音」が見えました。
                            そこで、推理を・・・
 売り抜けられたマンションは、将来どうなるのか・・・。区分所有法で「購入者で組織する管理組合」が管理することになっていますが、ほとんどのマンションでは売買の際に「念書」などで、マンション業者の子会社などに管理を委託するよう「取り決める」方法がとられています。
 その管理会社が倒産したりして、積み立ててあった管理費が無くなったなどと言うトラブルも良く聞く話です。
 さらに、年数を経るとどうなるでしょうか? 20年を過ぎる頃になると「大修繕」が待っています。
 30年を過ぎると、次々に修繕、改修と様々な工事を繰り返さないと、住居としての機能が損なわれてきます。
 そして、ローンの支払いが終わると間もなく、「建て替え」が待っています。
 昭和40年代初めの住宅公団の分譲住宅などまでは「建ぺい率」や「容積率」にゆとりがあるので、まだ「可能性」が高いと言えますが、最近の民間業者のマンションはどうなるのでしょうか?
  特に「高層マンション」などでは、建て替えにあたって建物を壊す「除却費用」が巨額になることは知られています。 さらに「再建築費用」をその段階までに、どれだけの方が「貯蓄でき」たり「新たな借り入れ」できるでしょうか。
   マンション業者らしい男の「資産」というのは、もしかしたら「マイナスの資産」を指すのでしょうか。
   業者の「売り抜け」という言葉には、そんな事態になることを承知の上での、「我がなき後に、洪水はきたれ」という「残忍さ」が潜んではいないでしょうか。
                           ちょっと 推理を・・・。.



「無責任のもたれあい 賛成討論の むなしさよ」 
                  平成13年度 決算審査 終わる

しばらくぶりに、ページの更新をします。
船橋市議会に上程されていました、平成13年度の決算審査のための「決算特別委員会」が11日に終了しました。
 ご存知のように「決算」は、その年度の財政運営がどうであったのか、適正だったのかどうか、審査をしそれぞれの立場から「討論」によって適否についての意見を開陳し、態度を表明します。
 今回の決算では、保守与党だけでなく野党的な姿勢を時々示す会派も、全ての決算に賛成したというのが特徴です。
 これでは、市長の行ってきた行政を批判などできるはずがありません。
案の定、面白い討論が聞かれました。そのいくつかを「報道」します。

 誰が考えても「先行きの見えない、オートレース事業」にたいしても、「認める」そうですが、みなさんも認めるでしょうか?
 この事業は「お金で市に貢献する」ことを建前におこなわれてきました。今でも「船橋市はオートレースをやっているから、お金があるんでしょう」と聞かれることがあります、実態は13年度から赤字を計上し、14年度の売上を先食いしてしのいでいます。
 14年度も赤字なら、その先はどうするつもりでしょうか。
 私たちは「儲かるときは、ギャンブルにのめりこんだ結果の一家離散など、社会問題を引き起こし、近隣の環境や交通問題などへの重大なマイナスの影響を抱え、人々が冷静になれば収益はへる。どちらにしてもこの事業は地方行政の事務にはなじまないので、廃止の方向で従業員の他事業への就労や関連する事業者などへのアセスメントを早急にしなさい」と主張して、「不認定」の討論を行いました。
 ところが、賛成の「認定討論」では、「不況だから売上がのびないで赤字になった。しかし借り上げ料や賃金削減の努力をしているからみとめる」と言うのがありましたが、これで進めばますます従業員の賃金攻撃が激しくなるではありませんか。また「不安材料は尽きない。参入の時より撤退に多くのエネルギーが必要、だから撤退の移行期間をきめて試算に取り組め」などと言いながら「認める」という論理展開もありました。
 いずれにしても、この先この事業をどうするのか、まったく提案もない「気楽な話」と受け止めるのは私だけでしょうか。

 百億円以上も税金を使うのに「お金のことに触れたl討論をしない」のは、どうして??

 船橋駅南口再開発事業特別会での討論の特徴は、この先も巨額の税金投入が避けられないのに、討論でこのお金のことに触れたのは、私たちだけ、と言うことです。
 「間のなく完成する、公共に使われる部分に期待がある」「安全に工事を終わらせてほしい」など、当り障りのない話しは、財政支出を伴う事業の決算討論として「十分条件」を満たしていると言えるでしょうか?
 この事業では、私たちこそが、具体的な提案をし22億円弱(平成4年度での数値で、現在では5億円程度になるかもしれませんが・・・)の市民負担を軽減させる「見直し」をさせました。
 その内容は、80%の権利を所有している6法人(船橋市を含む)で任意の変換計画を申し入れなさい、というもので、そのご不十分とは思えますが、5法人から前期の金額に相当する権利床の提供協力がありました。
 市民の「将来に責任を持つ」ということで、評価していただけるのではないかと思っています。
続きはまた・・・。

9月19日発
市長以下「だれも船橋の未来に責任を負わない」
無責任体制が明らかに
  船橋駅北口の31階マンション計画は どうやって進められたか

 船橋駅北口の広場に隣接する空き地は、都市計画では商業地域に指定されていることから「将来商業ビルを予定し、市民の利便性を考えてペデストリアンデッキもそのビルにつなげるように」つくられています。
 ところが
 最近になって、この土地が31階建てのマンションになる、という計画で進んでいることがわかりました。
どうしてそんな計画になったのか、調べてみて「おどろくべき」事実が明らかになりました。

都市基盤整備公団の「土地売り抜け」に市の職員が協力
 この土地はいくつかの土地に別れていましたが、その土地を集約し、民間が開発しやすいようにするため、特殊法人である「都市基盤整備公団」が買い集め、一つの土地とすることから、はじまりました。
 都市基盤整備公団と言えば、特別法にもとづいて運営されている法人で、その第1条には、地方公共団体との関係が示され、公共機関としての性格をもつ法人ですから、当然この土地を民間に売るについても、「船橋市との協議」が行われました。
市の役割忘れ、公団の利益のために協力

 この協議で、船橋市の職員は、この地域が商業地域であることや、計画もそれに沿ったものとするよう主張する義務があったにもかかわらず、公団が「土地の下落で業務用の開発では、買う相手が『売り抜けできない』というから、マンションを作れないか」というと、さっさとそれを認めてしまいました。
 買う相手の「売り抜け」と言うと、公団の問題ではないように聞こえますが、その前に「公団が売り抜ける」ためであることは順序を考えれば明白です。
 ただ一回だけ、市の主張らしい部分がありますが、それも「デッキに接続する2階までは商業系が望ましいが、できれば4階くらいまで商業系をお願いしたい」というものです。
 公的な審議会の議決まで行って定めている、都市計画決定が、職員の判断でここまで無視されてしまって良いわけがありません。
 しかし、船橋市ではこんなでたらめなことが行われていたのです。

 将来のことなど「眼中になし」
   「わが亡き後に洪水はきたれ」とばかりの、無責任答弁

 駅前に、公共施設であるペデストリアンで結ばれるマンション。それも、それぞれが勝手に使用する権利がある何十人もの権利者を認める区分所有法」にもとづくマンションができれば、将来この建物は一体どうなるでしょうか?
 最初は住宅として購入したとしても、将来はどんな使われ方をされるのか、何の保障もありません。商業地域ですから、さまざまな商売をされても、規制することもできません。
 マンションメーカー、マンションブティック、マンション飲食店、何でもアリ、です。
 将来、このマンションが船橋「駅前の恥部」になる可能性も心配されませんか。
 将来のことなどまったく眼中になく「わが亡き後に洪水は来たれ」の市政は、船橋市民の将来に責任を持たない、ということです。


 
   

2002年9月4日(市議会の招集日)  それでも ほめよう
粗大ゴミの収集有料化にあわせて、10月から、高齢者と障害者には、「福祉の観点から」、お宅まで収集に伺います、と回答がありました。
 
 8月21日に、公団団地自治会のみなさんが、船橋市の粗大ゴミ有料化には反対だが、それにしても集合住宅特有の問題は整理しておかなければならないとして、船橋市の環境部と協議を行いました。
 私も当事者の一人として参加させていただきましたが、その場で「集合住宅の玄関口とは、階段の踊り場だったり廊下の途中だが、市はどこまで収集に来るのか、など具体的な対応を取り決めました。
 その席で、もう一つ重大な問題として「高齢者などで、搬出も困難な人には、市が住戸内まで入って援助しなければ、ゴミを出せない人もいる」から、この際その問題を解決するべきではないか、という提案がありました。
 その席では直ちに同意の回答は得られませんでしたが、その後市の部長に確かめたところ「10月から高齢者と障害者については、収集にうかがうことにする。市長の記者会見の資料としても渡してある」と説明がありました。
 「有料化の引き替え」にしては不十分とも言えますが、「福祉の観点から」高齢者に援助するという姿勢が現れたことは評価して良いのではないでしょうか。それに「時間を置かずに決定したこと」は、市にしては「めずらしいくらい」早い決定でした。これは「ほめても良い」決断です。
 今後は一般の「可燃ゴミ」も「階段を下ろすのに苦労している方への援助」など、制度の改善を求めていきましょう。
 この話は、公団居住者だけの問題ではありませんので、ホームぺージに掲載しました。
2002年8月12日 「怠け者の節句働き」について考える  (毎年、言ってる言葉・・・天の声)
 世間はお盆の休み、ところが今日、私は議会の文教常任委員会に出席しました。
 「怠け者の節句働き」の典型みたいだね、と話すとすぐに返ってきた言葉は「それは佐藤さんだけ」というものでした。
 私としては「納得」。
 今日議題になったものは、船橋市の西図書館の「不祥事の付録」みたいなもので、「文明の衝突」という本が紛失した事に対する質疑でした。
 図書館では、本が返却されないで不明になるケースなどもありますが、この本は、開館時間に「誰かが持ち出したのではないか」という説明です。
 話題になっていた本だけに、また特定の著者の100冊を超える本を「特定の職員が破棄した」図書館での事件だけに、その真相が注目を集めるのは当然です。
 質疑で明らかになったのは、夜間などの閉館中にアラームが解除された形跡はないこと、返却された記録がきちんと残されいること、などから図書館が開いている間に誰かが持ち出したか、職員が処分したかの以外に考えられないこと。
 市としては、開架書庫だったので「誰かが持ち出したのではないか、そんなケースもある」という判断でした。
 真相は、どちらかかは判りませんでしたが、この書籍が行方不明になったことが判明した以後、蔵書の処分手順の改善がなされたことなどで、当面見守ることにしました。

  ここで再び「怠け者の節句働き」と、市の図書館事務について・・・。

 普段働かない人が、世間が休みの時に「働いて・見せる」と理解するのが、一般的な解釈ですが、私は何故かこの言葉に「粋さ」を感じているのです。
 自分から「怠け者の節句働きさ」などと言いながら仕事をするのは、なぜか「かっこいい」ではないですか。それが自分の使命にかかわることなら、なおさらにそう思うのです。
 ところで、西図書館の職員の「書物に対する情」は、聞いていても全く伝わってきませんでした。
 「文字になったものには、それだけで価値がある」とさえ思っている私としては、本を破棄している職員の姿など、とうてい想像もできないことだったのですが、節句働きならぬ執務時間中に「本を破いている職員」がいた(これが100冊以上の破棄事件)というのです。
  あらためて、「やせ我慢」、「節句働き」などの「言葉の、粋な部分に注目して見たいと思います。人類の進歩にかけがえのない働きをしてきた「文字」、その文字によって綴られた文書・本に対して、義務ではなく、粋に付き合ってこそ、「本当に好き」になれるのではないでしょうか。

     
2002年7月30日(机の上も下も資料がぎっしりでも、本人には必要な資料を見つけることが出来るところがすごい・・・天の声)
2002年9月4日現在 山はただ高くなるばかり・・・
2003年3月26日、すそ野が広がりました。やっと山のカタチになりました。