2006年 5月 25日 NO.614
市議会の機能低下まねく 陳情の取扱見直し提案
   

 議会運営委員会に、陳情の取り扱いを見直すという、提案が会派「新風」から出されました。その内容は、陳情について
 「委員会で審査はするが、採決はせず、将来の・請願・議案等の参考にする」という提案です。
 現在の船橋市議会は、陳情も請願(紹介議員あり)も、常任委員会で審議を行い、最終的には本会議で採決し議会として意思を決定します。採決した場合は、行政に報告し、必要な対策を求めています。
 採決をしないということは、市民からの陳情に対する議会としての態度を示さないことです。
 日本共産党は、陳情を請願と同様に取り扱うことは、議会の責任として当然のことで、変更する必要は全くないと考えています。

● 各会派の態度

 陳情の審査はせず、採択も行わない方がいい、というのが現在の多数の状況です。

〈 新風
「同じような文言を、毎回討論するのは時間のロス。」「ただ意見を述べるなど『何でも出しちゃおう』となりかねない」

自由民主党 〉
「否決されても、毎回同じ人が同じ趣旨で陳情してくる。民主主義を悪用しているケースが多い」

緑政会
「同じ陳情が繰り返し出されるのは問題。解決策について、会派でも議論している。」

● 最大の目的は、委員会を「早く終わらせること」、「議員としての態度表明を避ける」
 
 市民の陳情に「反対」「賛成」の意思表示をしたくない、「反対」して市民から批判されるのが恐いというのが本音でしょう。提案の最大の目的が委員会を早く終わらせること、議員としての態度表明を避けることのようです。
 平成16年の請願と陳情の受理件数は59件で、そのうちの56件が陳情です。もし、この提案が実施されれば、船橋市議会は市民の声を聞かず、議会として市民の声に対する態度を表明しない、ということになってしまいます。
 今回の案が多数で強行されれば、議会は市民の要望について、書類が配布されるだけ、見解の表明もなしという市民の負託に応えられない機関となってしまいます。こんなことは絶対に許せません。

■ 大変です!!教育基本法改悪法案
           与党が4月28日国会上程

    −現場教師の声を紹介します

▼改悪法案の危険性 その1
  −愛国心の押しつけは内心の自由の侵害に−


 テレビ・新聞等マスコミでは「愛国心」という言葉の問題が大きく取り上げられています。
 しかし、問題は人の思いや、内面に関することを法律の対象にすること自体に大変危険な要素を含んでいます。
 実際、東京都では国旗・国歌法や指導要領を根拠に「3・13通達」をもって、児童・生徒へ「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の指導について」徹底するよう、管理職や教職員に命令しています。これは、歌の指導のあり方、式への参加の意義を地道に指導する現場教師の思いを無視し結果だけを求める暴挙といえるでしょう。
 心に思うことを法において強制する。これは憲法が保障する内心の自由に触れる恐れすらあるのです。

▼改悪法案の危険性 その2
  −国家が教育の目的を押し付け−


 改悪教育基本法を実際読まれた方は、現行教育基本法に使われている文言があまりに多くてその違いに気づかれるまで相当な時間を要するのではないかと思います。
 簡単な方法があります。
 それは、主語が「誰か」ということを自分で付け足して読んでみることです。違いがはっきりします。
 現行教育基本法はその内容に関してほとんどが国及び行政がすべきこと、してはならないことを明記した法律になっています。
 しかし、今国会で上程されている、改悪法案は児童、教職員、家庭(父母)がすべきこと、してはならないことを明記した法律になっています。
 このことによって似たような言葉が使われながらも180度まったく違った法案ができあがってしまったのです。
 特に第2条教育の目標(新設)にそのことが集中しています。
 @幅広い知識と教養を身につけ・・・健やかな身体をはぐくむこと。
 A個人の価値を尊重して・・・勤労を重んずる態度を養うこと。
 B正義と責任・・・社会の形成に参画してその発展に寄与する態度を養うこと。
 C生命を尊び自然を大切にし・・・環境の保全に寄与する態度を養うこと。
 D伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するととも
に、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。

▼改悪法案の危険性 その3
  −選別と競争の教育に−

 改悪法案では9年の義務教育規定が削除されます。これはおそらく飛び級を意識したエリート教育推進のための準備だと考えられます。
 そうしたエリート発見の手だてとして教育振興基本計画ではすでに全国一斉の学力テストが視野に入っています。一斉学力テストは東京都で実施され成績が区毎に発表されました。しかし、こうした一連の動きの中で傷ついている子どもたちの存在が教師としては心配でなりません。