3月11日、日本共産党は「東北地方太平洋沖地震対策本部」を設置し、全国から被災地への支援を続けています。千葉県の日本共産党は石巻市内にある党の救援センターを中心に、救援ボランティアを派遣しています。8月末までにのべ4923人のボランティアが参加。日本共産党船橋市議団からは、石川・岩井・金沢の3名が参加をしました。
日和山公園から見た門脇町付近。
もとは住宅街だった。
■ 被災地を歩く
宮城県石巻市は人口約16万人のうち、死者・行方不明者は約4000人。40人に1人が死亡・行方不明という状況で、県内でも最大の被災地となっています。
最も津波の影響を受けた、石巻港に面した門脇町・南浜町の状況を日和山公園から確認すると、海から山裾まで、住宅・建物がほとんどありません。震災当日、この山に避難した住民は、自分の家が津波にのまれていくのを見ながら、津波にのまれる人たちの悲鳴を聞くことになってしまいました。
なぎ倒された電柱、ひしゃげたシャッター、ねじ曲がった橋の欄干。海沿いには流された乗用車が見上げるほど積まれ、津波の威力に圧倒されました。
門脇町にある西光寺の墓地。ここで泥あげ作業を行う。墓石の下から遺体も見つかっている。
■ 寝る場所が変わっただけで「自立」といえるのか
8月末をもって避難所は閉鎖となり、住民は仮設住宅へ移動することになります。
しかし、避難所で受けていた食料支援などは、受けられなくなります。これから冬支度のために、衣類や暖房器具などの出費は避けられません。
義援金があっても、安定した収入の見通しがないために、お金を使うことが不安となっています。
現地で感じたことは、今、緊急に必要なのは、入居後も必要に応じて生活支援物資が定期的に届くようにすること、安定した収入が確保できるようにすることではないか、ということです。
安心して買い物も出来ないでいる住民に、国は責任を持って展望を示すことが求められているのではないでしょうか。
仮設住宅へ支援物資を届ける。高齢者の多い仮設住宅では、Lサイズの下着が喜ばれた。
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